知的財産を仕事に活かす! 検定合格を徹底サポート
記事に関するお問合せは
info.chizai-a@technoassociates.com

Copyright (c)2004-2013
TechnoAssociates,Inc.
All Rights Reserved.


TechnoAssociats,Inc.



【参加無料】「米国知財実務セミナー」〜米国特許弁護士が解説(2017年9月22日・東京)
<Open Innovation静岡>中堅企業が地域経済を牽引、有望ビジネスを情報発信

知財パーソンの履歴書


山藤裕さんの場合 (アサヒ飲料 勤務/研究開発本部所属)
[2009/08/04]



 1級知的財産管理技能士であり,現在,大手清涼飲料メーカー,アサヒ飲料で特許管理のスペシャリストとして活躍する山藤裕さんの経歴は,とてもバラエティに富んでいる。20代は,メーカーなど数社を渡り歩き,営業,システム・エンジニア(SE)など様々な仕事を経験。文系出身ながら,知財に関心を持ちこの世界に入ったのは,30歳を過ぎてからである。アサヒ飲料へは35歳の時に中途入社。以来12年間,グループ会社との調整を図りながら,同社の特許活動の強化へ孤軍奮闘している。転職の末に天職を掴んだ山藤さんの横顔を紹介する。




“知的好奇心”の赴くまま仕事に就いた20代,徐々に技術系にシフト

 山藤さんは,大学で経営学を学んだ後,自身もピアノ演奏をすることから大手楽器メーカーに就職,最初は営業マンとしてキャリアをスタートさせた。主に学校関係を担当し,小学校,中学校,高校などを回る。
 その後,楽器メーカーでの営業経験を生かし,大手電機メーカーへ最初の転職,業務用機械やモニターの営業を担当した。「仕事を通じて,しだいに技術系専門職に憧れるようになりました」(山藤さん)。その後,SEとして大手住宅メーカー,海運会社のコンピュータ部門を渡り歩く。時代はバブル期。自信とやる気さえあれば,色々チャレンジできる環境であった。企業での情報システムの構築,コンピュータ機器導入が進むなど,ハイテク産業が注目を集める時代でもあった。

 「今,振り返ってもどうして入ったか分かりません」。知的財産の世界との出会いは,30歳を過ぎた頃,偶然に訪れた。
 当時,法律事務所や会計事務所での仕事,弁護士,公認会計士などいわゆる“士業”に関心を抱いていた山藤さんは,人材紹介会社に転職相談。そこで,参考までにと紹介されたのが特許事務所だった。当時,担当者からの説明は“技術者の墓場”。しかし,好奇心旺盛な山藤さんにとって,特許事務所の仕事,弁理士の仕事内容は新鮮に映った。「特許法という法律で,技術が規定されている点,技術を文章化して権利化するところが面白いと思いました」。
 紹介先の事務所の面接では,前職で鍛えた営業経験とコンピュータ知識をアピールし,無事に入所。知見のあったコンピュータ分野にも関わることができた。明細書作成,中間処理への対応など,3年間,実務経験を積んだ後,さらなる活躍の場を求めて,アサヒ飲料へ転職した。

アサヒ飲料の特許管理の顔として孤軍奮闘

 アサヒ飲料は,「WONDA」「三ツ矢サイダー」「バヤリース」「十六茶」といった商品ブランドでお馴染みの,アサヒビールグループの清涼飲料メーカー。特に,「三ツ矢サイダー」はその歴史を紐解くと,1884年(明治17年)発売の「平野水」(後の三ツ矢サイダー)にまで遡る。1928年(昭和3年)誕生の「キリンレモン」,1909年(明治42年)の「シトロン」,1886年(明治19年)の「コカ・コーラ」,1898年(明治31年)の「ペプシ」など,他の有名な炭酸飲料よりも長い歴史を持つ。
 一方,アサヒ飲料としての歴史は,意外にまだ浅い。朝日麦酒(現:アサヒビール)の飲料水ベンディング業務を引き継ぐかたちで,1972年に「三ツ矢ベンディング」,1982年に「三ツ矢フーズ」が設立。その後,飲料事業でのグループ再編を経て,「アサヒ飲料」として独立したのは1996年のことである。2008年,再びアサヒビールの完全子会社となったが,山藤さんがアサヒ飲料へ中途入社したのは1997年。同社がアサヒビールから独立して,再スタートを切った時期である。

 入社後,会社が山藤さんに期待したことは,研究開発の活性化,成果を事業貢献に繋げるためのインフラ作り。採用に当たった当時の研究開発本部長は,技術畑に浸かりきった人材より,部門間を橋渡しできる人材を探していたという。当時,アサヒ飲料には特許管理の専門組織がなく,グループ親会社であるアサヒビールの特許室が管轄していた。そのため,山藤さんは入社後すぐにアサヒビールへ出向。半年間のOJTを経て,アサヒ飲料「特許課」(当時)創設に関わった。
 現在,同社の特許管理業務は,研究開発本部・研究企画グループが管轄。山藤さんは,引き続き同社における特許管理の顔として活躍している。アサヒビールの知財戦略部の仕事も兼務。週1回の打ち合わせに参加し,グループ間での連携・調整を密に図っている。

 「出願から中間処理,先行技術調査,報奨金の支払い対応まで,1人で実に幅広くこなしています。これまで特許出願300件以上,100数十件を権利化してきました。製法特許から工場・製造機械関連,化学,バイオ関連,容器にいたるまで様々です。最近では,自販機管理のオペレーション・システムに関する特許なども取得しています。
特に,製造機械関連では,色んな業者との共同研究,共同出願するケースが多いです」(山藤さん)。



 食品・飲料業界は,ハイテク産業ほど特許侵害訴訟はなく,比較的平和な業界だという。しかし,市場競争は激しさを増しており,業界各社は生き残りをかけて,酒類,飲料,食品,バイオ,外食などグループ事業を再編,強化。持ち株会社化やM&Aも積極的に進めている。国内市場の飽和で,中国など有望市場への事業展開なくしては,将来,継続的な成長は見込めない状況だ。今後,こうした業界再編や,新興市場で事業を優位に進めるためにも,戦略的な知的財産活動,特許取得は重要な仕事である。
 また,最近では,消費者の健康志向,食への安全・安心志向が高まりを見せる中,メーカー各社は,商品開発に関わる技術の特許化,トクホ取得をマーケティングの手段として有効に活用し,商品の独自性と信頼性を訴求するケースも多く見られる。「研究者の発明に対するモチベーションを高めるにも,関連技術の権利化,それらの商品パッケージなどへの露出は有効です」(山藤さん)。

弁理士試験の学習,検定受検で実務知識をチェック

 知財分野の仕事は,専門的な基礎知識がベースとなる仕事。特許事務所が3年,企業知財部が12年と経験を積んできた山藤さんだが,実務知識のチェックも怠っていない。知財分野の難関国家資格,弁理士試験にも“周期的”にチャレンジしている。
 「知財分野でスキルを証明するには,これまで弁理士試験しかありませんでしたが,新たに良い評価基準ができたと思います」――2004年には,創設したばかりの知的財産検定(現:知的財産管理技能検定)を受検して準1級を取得。同検定の国家検定への移行に伴い,特例講習を受けて1級知的財産管理技能士となった。会社では,本検定に対する受験料補助の制度はなかったものの,自ら人事,総務,上司にかけあい,検定受検の趣旨を説明,受検料負担の了解を取り付けた。特例講習の費用も負担してもらった。

 現在,山藤さんの名刺には「1級知的財産管理技能士」と刻まれている。自らのスキルのアピールだけでなく,弁理士とのコミュニケーションのきっかけにもなるという。
 「知識の確認という意味で,資格・検定の受検勉強はそれ自体に意味があると思います。知財検定1級対策は,弁理士の勉強をして実務をこなすことがベスト。せっかく,名称独占資格を取得したのですから,まず相手に知ってもらわないと意味がありません。1級知的財産管理技能士となり,技術者からの権利化に関する相談に対しても確信を持ってアドバイスできるようになりました。これを励みに,弁理士試験にも機を見てチャレンジしたいと思います」(山藤さん)。

「知財活動の組織化の流れの中で,大きな役割を担っていきたい」

 今春,あるビジネス誌が企画した知財特集の中で,「企業特許価値ランキング」が発表された。工藤一郎国際特許事務所が独自に開発した特許価値評価手法「YKS手法」により,2009年3月末基準のデータをもとに算出されたもので,食料品企業部門で,アサヒ飲料は非上場企業ながら,ハウス食品,味の素,雪印乳業,キューピーに続き,5位にランクインした。同じく,2008年5月1日基準の「特許別の特許力指数ランキング」では,同社の「抹茶食品の褐変防止方法」,「加温時の劣化臭を抑制した乳風味飲料」が,それぞれ1位,3位にランクインしている(関連情報)。山藤さんのこれまでの仕事への1つの評価と言えるだろう。
 「今回のビジネス誌の記事は,自分にとっても大きな励みになりました。社長の目にも触れる機会があり,激励されてとても嬉しかったです。今後も,企業内,グループ内で進むであろう知財活動の組織化の流れの中で,一翼を担っていければと考えています」。
 山藤さんにとって今の仕事は,転職の末にようやくたどり着いた天職のようだ。

(文・池田英一郎=テクノアソシエーツ)